ここ何年かで自分の周りでもフライフィッシングやテンカラをやり始める人が増えた。仲間が増えるのは素直に嬉しい。自分のブログでも以前に書いたフライとテンカラの記事へのアクセスが明らかに増えてきている。特にウルトラライト(UL)の流れからのハイキング系の人たちも多いように感じる。その中には、小さいころの経験は別として、はじめての釣りがフライやテンカラという人たちも多いように思う。非常に勉強熱心な人が多くて関心させられるけど、やはり1、2年の経験ではどうしても見えない部分も多く残ってしまうのも事実。
やはり最初は道具やテクニック的な部分に目が行きがちなので、魚や川の知識は後回しになってしまうかもしれない。意外に知られていないのは、日本の多くの川は毎年多くの魚の放流が行われていて、それによって釣りが成立している川も多いということ。つまり放した魚を釣っていることが少なくない。もちろん、残った魚が年を越して世代が変わっていくこともあるし、稚魚や卵の放流など熱心に保護活動をされているところも多い。だけど、川の上流域~源流域となると少し話が変わってくる。そこでは基本的に自然の再生産、つまり卵を産んで世代が入れ代わっているし、放流や保護活動もされていないところも多い。
ネットでの情報を見ていると、4、5人のグループで源流域に入り、食料は現地調達のイワナで、とても一晩の食事に必要な量とは思えないほどの魚をキープしているのを見かけると思う。確かに釣った魚を食べるというのは釣りの醍醐味だ。これは間違いない。釣りは狩猟本能を刺激してくれるし、新鮮な魚は本当に美味しい。だけど、これがこと内水面(ないすいめん)となると少し考えなくてはいけないと自分は考えている。
内水面とは外水面(がいすいめん)である海に対して、内陸にある川や湖のこと。釣り人と魚の絶対数を考えた時、内水面では釣り人のインパクトがとても大きくなる。それが源流域へ行けば行くほど川幅は狭くなり、より顕著となる。極端に言えば、根絶やしすることだって可能かもしれない。釣った魚を食べるのは良いけれど、量はコントロールすべきだというのが自分の考え方。そもそもウルトラライトとはそんなにもカロリーが必要なスタイルではないはずなので、そうした山奥での宴会の真似をすることはないとは思う。荷物を100グラム減らす前にしっかりと考えることが大人のたしなみであり責任だ。
キャッチ&リリースという言葉は釣りをやらない人でも聞いたことがある人が多いと思う。つまり釣った魚をキープ(食べること)をせずに、そのまま放すというスタイル。もちろん、じゃあ何のために釣りをするんだ!という 批判はもっともだと思う。趣味の釣りというのは自分のエゴでしかないかもしれない。だけど、エゴだからこそ、インパクトは最低限に抑えなきゃいけないとも思う。
リリースするにしても出来る限りダメージの少ない釣り方で、魚の扱いも考えたい。リリースしても死んでしまっては意味が無い。魚は人間の体温でもヤケドしてしまうと言われているので、できる限り魚には直接触れず、また触れる前には川の水で手を濡らし冷やしておきたい。ギュッと握って針を外すのも致命傷になってしまうし、できる限り水面から上げないのがリリース後の生存率を上げる方法となっている。これも大人の釣り人であれば当然の、生き物に対する敬意だと思うし、釣り人としての技術の向上にはこうしたことも含まれていると思う。
日本には無数の川がある。リンクの地図のように、川だけを描いても日本の地図が描けるほどだ。
でも、それぞれが一つ一つの川を潰していけば、あっという間にダメになってしまう。日本の河川行政など、他にも大きな課題ももちろんあるけれど、釣り人は未来の釣りのために自分ができることをまずはやっていくしかないと思う。
どんなスポーツも新たな人口が増えることによって発展する。その過程では旧来の人たちと新しい人たちで軋轢が起こることもある。お互い良い刺激を与え合い、良い方向に発展するには、ベテランも恥ずかしくない行動をしなければならない。釣り人は特に自分が一番だと思ってしまいがちなので気を付けたい。自分も口うるさい経験者にはなりたくはないけれど、少しでもみんなが楽しめるようになればと思って、自分のスタイルについて書いてみた。